大原敬子(けいこ)公式ホームページ


愛されている幸せ① 階段  私が3ヶ月くらい前に冗談のような笑い話のような階段からよく落ちる話をしたことがあった。でもそれから、ふとしたときに、先生は「雨だから階段はよくすべるから気をつけて」とおっしゃってくださる。以前なら私はよく落ちるから、危ないと分かっていても、まあ大丈夫と思って真ん中を歩いてしまうけれど、先生の言葉を思い出すと、手すりを持ちながら、階段を降りる。笑い話なのに、笑い話なのに、時間が経ってもそっとかけてくださる先生のその言葉が嬉しかった。はじめて自分を大事にしようと思った。

座っていられる心  私が高校1年生か2年生の講習会のある朝、教室をお掃除してくださった方がいらした。その方が床のごみを丁寧に集めてくださっているとき、私はどうすることも出来ずにただ座っていた。そのあと、先生が教室にいらしてものすごく怒られた。「どうして席に座っていられる\のか。その心で勉強できても意味がない。」というようなことだった。そのときのことはずっと忘れられなかった。
 ある日、学校の教室を担任の先生が一人で掃除をなさっていた。ホームルームの前でみんな席に座っておしゃべりしたりしていたときだった。その空気で、瞬間的に講習会の朝のお掃除を思い出した。座っていることは出来なかった。精一杯、自分にできたことはちりとりを持っていくことだった。すると、担任の先生が「こんなに優しい子はいない」とおっしゃった。それから、担任の先生はすごく私を可愛がってくださった。大原先生が教えてくださったことは空気や感覚を体で覚えている。

コスモス  先生のお誕生日にコスモスをプレゼントしたとき、その日の夜、先生がお電話をくださった。「あれは摘みにいったんでしょう。」という先生のひとつひとつの言葉がうれしかった。
 コスモスは先生が大好きなお花。だから私もコスモスが好き。

ろうそくの火  ろうそくの火を見ているとずっと昔を思い出す。そのときの自分、先生、情景が順番に思い浮かぶ。思い出す日は、何でもない普通の日。先生は笑っても怒ってもいない。ただ、先生と目と目を合わせている。その何秒間かがずっと目に残っている。ふとしたとき頭に思い浮かぶ絵はいつもこのとき。この日を思い出すと”見て見ぬふり”とか、”どっちにも言い訳できるようにいいところだけとってしまおう”という自分をもう一度立て直そうと思う。自分の土台はすごく弱いものだと思う。でも、だからこそ”ここ”という勝負の日は自分の心に覚悟を決める。私の覚悟は頭の中に先生しかいない。
 ただ、私が迷った部分を先生が全て分かってくださっていて、受け入れてくださっていることを、はじめて知った。言葉にうまく表現できない。けれど、もっともっと気持ちがひとつにしようと思った。すると、急に私の迷いは自分の世界観で決め付けていたような気がした。

過去の自分  先生に、「私は小さな頃どんな子どもだったんですか。」と聞くと、「いつも、自分を大事にしていたのかもしれない。」とおっしゃってくださった。嬉しかった。自分を大事にすることは、きっと自分の中に信じるものがないとできないような気がした。
 過去の自分を思い出すと、気持ちが悪いほど嫌いに思うときがある。どの時にも過去には戻りたいと思わない。今も、過去に戻りたいとは思わない。でも、過去の自分が自分でよかったとそのとき思った。

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